小室の民話「力持ち平右衛門」

小室には「力持ち平右衛門」という民話が残っています。以前は小室と近傍の人ならば誰でも知っていたそうです。平右衛門は小室に実在したと言われています。そこでここでは過去に「広報ふなばし」に掲載されたものを紹介いたします。

むかしむかし、小室町に平右衛門という大変力の強い人がいました。

この人は、村でも評判の働き者で、村中の人達からも大変頼りにされていました。ある夜、平右衛門は自分の力がどのくらいあるのか試してみようと、大勢を相手に朝まで相撲をとり続けましたが、一人として平右衛門に勝てる者はなかったそうです。

この話が近在に伝わり「夜の明けるまで負けなかった」ので、有明平右衛門と呼び名が付けられたといいます。

ある時、佐原方面から、江戸に通ずる街道筋の草が生え繁り、旅人が困っているのを見た平右衛門は、草を刈ってやるべえと、昼間は暑いので夜になるのを待ち、大鎌で幅八間(十四メートル)もあろうかと思われる街道の草を刈り始めました。村人は何をするのか見守っていると、夜が明けるころには神保新田地先まで一里余もある街道の草が狩り終わっていたそうです。

また、平右衛門は米二俵を馬の背に積み、手綱を肩に鼻歌で鎌倉街道を過ぎ、今の葛西田圃まで行くと、先方より殿様の行列が進んでくるので、平右衛門、思案の末とっさに馬の腹の下へ自分の身を入れ一気に馬ごと差し上げて端へよけた。

これを見た殿様はさすがに驚き、家来に命じてその住所を問い正させて行列は何事もなく過ぎ去っていきました。後日、殿様から呼び出しがありましたが、叱られると思った平右衛門は、今の八千代市神久保地内の飛地になっている谷津谷の菖蒲の仲という屋号の所に隠れてしまいました。おそらくここが妻の家であったと思われます。

また、平右衛門は餅が大好物でしたが、自分の家では腹いっぱい食べることが出来ないので、ある時妻の家に行き、今日こそ腹いっぱい餅を食べてみたいと五升もの餅をつかせぺろりと食べてしまったそうです。

食べた後は裏の竹山に行き、竹を手に掛けると造作なく二、三本抜き取り、その竹を握りつぶして鉢巻にしました。それを見ていた人は平右衛門の大力には舌を巻いていたそうです。

平右衛門は大力のうえ大変働き者でしたので、家の暮らしも良く、高橋平右衛門の大祖先として今でも当家では忘れることなく供養しています。平右衛門の位牌には「大祖先大力無双草切高園院宗説月妙信士」と記されています。また、有明平右衛門伝説として馬ごと差し上げた掛け軸などものこされています。

(広報ふなばし501号、1981.6.1)

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